バブル真っ盛りに登場した三菱自動車のスーパースポーツ「GTO」。イタリア語由来の名称にエキゾチックでグラマラスなボディ、そしてパワフルなエンジンと4WDシステムを採用していた。今から見てもユニークな、その内容の理由を紹介しよう。
【写真】某スーパーカーみたい!? バブル期に登場した三菱のスーパースポーツ
1990年10月、三菱自動車から新型車、GTOが発売となった。当時は、昭和終わりからの経済発展が最高潮に上りあがった、いわゆるバブル時代の絶頂期だ。
1989年には日産の「フェアレディZ(Z32型)」と「スカイラインGT-R(R32型)」が生まれ、翌1990年にはホンダ「NSX」、1991年にはマツダ「アンフィニRX-7(FD型)」といったスーパースポーツが、それぞれリリース。
日産「シルビア(S13型・1988年)」やトヨタ「セリカ(ST180型・1989年)」、ユーノス「ロードスター(NA型・1989年)」といった、身近なスポーツカーも続々と登場していた。GTOは、そんな中で三菱自動車が世に送り出したクルマである。
GTOは、今から考えてもユニークだ。そもそも、GTOという名前からして不思議である。
この名称は「Gran Turismo Omologato」の略であり、イタリア語が由来だ。意味合いとしては「GTクラスに認証されたクルマ」で、モータースポーツ関連の言葉となる。
ところが、GTOも三菱自動車も、イタリアとは縁もゆかりもない。さらにGTOは、同時期のスカイラインGT-Rのように、レース参戦を睨んで開発されたわけでもない。あくまでも街中を走るスポーツカーとして開発されている。
そのため、ライバルの国産スーパースポーツの中で抜きんでて重かった。実に200kgも重かったのだ。レースでは、致命的な弱点となる。レースでの活躍を目論んでいたら、もっと軽量化を行ったはずだ。
そもそも三菱自動車は、それ以前に「スタリオン」というスポーツカーを発売していた。その名前を捨ててまで、新しくGTOという名称を持ち出したのだ。しかも、GTOのイメージカラーは真っ赤で、デザイン自体もイタリアの某スーパーカーブランドのようである。
ちなみに、当時の三菱自動車の主力モデル「ギャラン」や「ランサー」はスクエアなデザインが特徴であり、曲線基調デザインのGTOのようなデザインはなかった。このデザインの唐突さも、不思議なところだ。
そんなGTOに搭載されるエンジンは、3.0リッターV型6気筒。NA(自然吸気)とツインターボがあり、ツインターボのほうは最高出力こそライバルと同等の280馬力だったが、最大トルクはスカイラインGT-Rの40.0kgmを上回る43.5kgm。
しかも、駆動方式は三菱自動車が得意とする4WDで、大トルクを余すことなく路面に伝えることができたため、ヘビー級でありながら、その加速力はライバルを圧倒していたという。
しかし、プラットフォームは、FFベースになっていた。なんと、エンジン横置きのFFをベースにしたフルタイム4WDであったのだ。
そのため前後重量配分は60:40と、思い切りフロントヘビー。これに、4WS(4輪操舵)、アクティブ・エアロ(スポイラーなどが速度に応じて動く)、電子制御サスペンションなど、当時の最新技術を目いっぱい盛り込んだ。
今から見れば、「どうしてイタリア風なのか?」「なぜ本格スポーツカーがFFベースなのか?」と、不思議な部分の多いクルマであったのだ。
では、なぜGTOは、そんな不思議な内容になってしまったのか。そもそもGTOという名称は、さらにさかのぼること20年になる1969年誕生の「コルトギャラン」に由来する。
コルトギャランは、1980年代から2000年代に三菱自動車の主力ミドルセダンとなった「ギャラン」の始祖となる存在だ。セダンやハードトップなどのボディ派生があり、その最上位的な存在としてファストバック・スタイルのクーペに「コルトギャランGTO」が用意された。
1970年代当時、ファストバック・スタイルは非常に人気が高かった。1960年代に大ヒットしたフォード「マスタング」が開拓者であり、そのフォロワーとして、数多くのファストバック車が生まれていたのだ。
その影響はアメリカだけでなく、日本にも及んでいた。トヨタのファストバックである初代セリカも1970年の誕生だ。
そんなファストバックの人気車のひとつに、GM(ゼネラルモーターズ)の「ポンティアックGTO」があった。のちに「マッスルカー」という高性能マシンの代表ともなる人気モデルだ。
タイミング的なものを考えると、コルトギャランGTOの名称は、ポンティアックGTOへのオマージュだったのだろう。
ちなみにコルトギャランは、ラリー車としても大活躍している。ただし、実際に参戦したのは軽量なセダンであり、ファストバックのGTOは競技車としてほとんど使われていない。
よく走り、丈夫で格好いいことから人気モデルとなったわけだ。今でも旧車ファンの間で根強い人気を保つ、日本の名車のひとつに数えられる。
次の疑問は、「なぜ三菱自動車がスーパースポーツを求めたの?」というものだ。これには当時の時代の空気と、三菱自動車の企業的な都合があったというのが理由だろう。
GTOの生まれた1990年は、バブル絶頂期であり、スポーツカーの人気も絶大だった。そんな中、ホンダのNSXを筆頭にライバル各社がスーパースポーツをリリースしている。三菱自動車は当時、そのホンダと業界3位の座を争っていた。だから、スーパースポーツをやらないなんてことは、考えられなかったのだ。
また、企業的な都合もあった。当時、三菱自動車が資本提携していたクライスラーの存在だ。クライスラー側から、「アメリカで売るスポーツカーがほしい」という要望があったという。
そこで、三菱自動車が開発・生産を担当する、クライスラーと三菱自動車の兄弟車という企画が生まれた。そう、GTOにはアメリカに兄弟がいたのだ。ダッジブランドから販売され、その名を「ステルス」という。
ちなみに海外市場では商標の都合からGTOの名称は使えないため、「3000GT」の名前で販売された。忘れてしまった人も多いだろうけれど、昭和時代の三菱自動車はクライスラーと提携していたのだ。
また、販売の主戦場は日本ではなくアメリカと考えられていた。そのため従来の日本向けの三菱自動車のモデルとは関係なく、アメリカでの受けが重視されていた。それが、GTOのグラマラスなデザインの最大の理由だろう。
最後の疑問は、「なぜFFをベースにしていたのだろうか?」という点だ。スーパースポーツといえば、ほとんどが後輪駆動を基本としている。エンジンを縦置きしたFR、もしくはミッドシップの後輪駆動車だ。
ところがGTOは、FFベースの4WD。スポーツカーというよりも、乗用車によくあるレイアウトだ。そうした構造になったのは、当時の“技術の都合”と言えるだろう。
実のところ、GTOのメカニズムは「ギャランVR-4」と多くを共有していたのだ。
ギャランVR-4は、GTOのほんのわずか前になる1987年に誕生した高性能セダンで、WRC(世界ラリー選手権)参戦を目指して開発されていた。
FFベースではあるけれど、「4」の文字があるように4WDである。当時は、FFベースの4WDが技術的な最先端でもあったのだ。
実際にWRCでは、 2024年3月18日にご逝去された三菱自動車の社員ドライバーである故・篠塚建次郎選手らがドライブして優勝を獲得する活躍を見せているし、トヨタ「セリカGT-FOUR」のように同様のレイアウトを持つライバルも存在した。
もちろん、三菱自動車にFRができなかったわけではない。GTOの先代にあたるスタリオンは、FRだった。
けれど、設計の古いスタリオンを下敷きに新型スーパースポーツを開発するのは、当時の「何でも新しく」「より高性能なもの」が求められていた時流にはそぐわない。
もしも、FRのスタリオンをベースにGTOが生まれていれば、もっと軽量で本格的なスポーツカーになっていたかもしれない。しかし、「古臭い」とユーザーにそっぽを向かれていたのではないだろうか。そういう意味で、FFベースの4WDになったのは、致し方ない部分もあったろう。
また、1980年代後半から1990年代にかけては、三菱自動車の本格4WDである「パジェロ」が人気を集めた時期だ。パリ・ダカールラリーでの活躍などもあり、パジェロはRV(レクリエーショナル・ビークル)ブームを牽引する存在になった。
このパジェロは当然のように4WDであり、そうとなれば三菱自動車のスーパースポーツが「4WDであるべし」と考えるのも理解できる。パジェロの存在も、GTOに4WDを採用した大きな理由となったに違いない。
つまり、GTOという名称は、1970年代の遺産の継承であり、派手なバタ臭いデザインはアメリカ市場を意識したのが理由。そして、当時の三菱自動車の最新技術を使ったため、FFベースの4WDになったのだ。今から思えば、不思議に思う内容であっても、当時の三菱自動車としては必然の産物といえる。
現在の三菱自動車から、GTOのようなスーパースポーツが生まれる可能性は、ほとんどないだろう。仮にスポーティなクルマが出たとしても、既存車種のラリーアート仕様などとなるだろうし、ASEANで成功している三菱自動車だけに、北米市場をターゲットにしたものにはならないはずだ。
そういう意味で、1990年代のGTOは三菱自動車の歴史に大きなインパクトを残す貴重な存在となった。まさに、「バブルに咲いた真っ赤な大輪」なのだ。
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